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韃靼漂流者供養碑

 さらに歩いていくと、龍翔小学校跡があった。

 現在は丘の上に再現されているが、もともとは街中に建っていたのである。

 もともとここには斯文館という私塾があったのだという。

 1862年に三国湊の豪商達が開いたもので、翌年には思誠館と改称している。

 瀧谷寺の勤王僧・道雅上人が、毎月3と8の日に教育にあたったという。

 そして唯称寺、浄願寺、妙海寺、眞龍寺、性海寺と歩いていく。

 このあたりは寺町なのか。

 性海寺には重文の絹本著色地蔵菩薩像があるほか、当地の豪商であった森田家の墓所、竹内藤右衛門の墓/韃靼漂流者供養碑なども。

 竹内藤右衛門は1644年に三国を出帆したものの、佐渡沖で暴風に遭って漂流、ロシアの琿春に漂着した。竹内はじめ多くの船員は地元民によって殺されてしまったが、何人かが1647年に帰国でき、『韃靼漂流記』という記録を残している。